私が都内のコンビニで夜勤のアルバイトをしていた頃、ラバーカップは「特定の空気感」を持って売れていく商品でした。深夜二時を過ぎ、客足が途絶えた時間帯に、血相を変えて入店してくるお客様。彼らは真っ直ぐに日用品コーナーへと向かい、ラバーカップを手に取ると、他の商品には目もくれずにレジへやってきます。その時の表情は、申し訳なさと焦りが混ざり合った独特なものでした。私たち店員の間では、ラバーカップが売れることを「救急出動」と呼んでいました。なぜなら、その商品を買うということは、お客様の家で今まさに深刻なトラブルが起きていることを意味するからです。ある雨の夜、仕事帰りと思われるスーツ姿の男性が、半べそをかきながらラバーカップを探していました。残念ながらその時は在庫が切れており、私は近隣の他店舗の在庫を電話で確認してあげました。男性は何度も頭を下げて店を飛び出していきましたが、あのような必死な姿を見るたびに、コンビニが地域に果たしている役割の重さを痛感したものです。ラバーカップは、おにぎりやタバコのように毎日コンスタントに売れるわけではありません。しかし、在庫があるというだけで、誰かの絶望を救うことができる。棚の端っこで埃を被っているように見えるあの黒いゴム製品には、実は店員の「いざという時に力になりたい」という思いが込められているのです。また、興味深いことに、ラバーカップが売れた翌日のシフトでは、なぜか同じお客様が爽やかな表情でお菓子や雑誌を買いに来ることが多々ありました。それは、無事にトラブルが解決し、平穏な生活が戻ってきたことの無言の報告のようにも感じられました。私たちはただレジを打つだけですが、お客様の人生のちょっとした危機を一緒に乗り越えたような、不思議な連帯感を覚えることもありました。コンビニでラバーカップを買うことを恥ずかしいと思う必要は全くありません。私たち店員にとっては、それはお客様が自分の力で生活を守ろうとしている立派な姿に映っています。あの小さな棚の片隅から、今夜も誰かの日常が守られているのです。
元コンビニ店員が語るラバーカップが売れる特別な夜の記憶