あれは数年前の非常に強い台風が接近していた夜のことでした。外は激しい雨の音が響き、風で窓がガタガタと鳴っていました。家の中で静かに過ごしていたのですが、ふと廊下の奥にあるトイレから、今まで聞いたこともないようなボコボコという不気味な音が聞こえてきたのです。何事かと思ってドアを開けると、そこには信じられない光景が広がっていました。便器の中の水が生き物のように波打ち、少しずつ水位が上がってきていたのです。私はパニックになり、反射的にレバーを回して水を流そうとしましたが、それが最大の失敗でした。流したはずの水は行き場を失い、便器の縁ぎりぎりまでせり上がり、ついには汚水が床に溢れ出してしまいました。後で知ったのですが、大雨の時にトイレを流すのは最もやってはいけないことだったのです。下水道が満水状態になり、逃げ場を失った空気が家の中の配管に向かって逆流していたため、水を流すことでさらに圧力を高めてしまったのでした。私は慌ててタオルを敷き詰めましたが、溢れる水は止まらず、泣きそうな思いでバケツを手に取りました。夜中だったので修理業者もすぐには来られず、翌朝まで不安な時間を過ごすことになりました。翌日、駆けつけてくれた業者さんから、浸水被害を防ぐためのビニール袋に水を入れた水のうという応急処置を教わりました。これを便器の中に入れて蓋をすることで、下からの逆流を重みで抑えることができるそうです。もっと早くこの知識があれば、床を水浸しにせずに済んだのにと激しく後悔しました。この一件以来、大雨の予報が出ると私はすぐにトイレの点検を行い、準備を整えるようになりました。自分の家だけは大丈夫だという根拠のない自信が、いかに危険かを思い知らされた出来事でした。トイレの逆流は単なる故障ではなく、自然の猛威が生活の細部にまで入り込んでくる現象です。あの夜の不気味な音と冷たい水の感覚は、今でも忘れることができません。